長崎街道は江戸時代に我が国唯一の海外貿易の窓口であった長崎から京都、江戸への物流、文化、情報のルートとして長崎から小倉間に亘って構築された。
長崎街道は1610年頃に開通され、長崎から小倉まで57里・25宿が設けられており、江戸時代の5街道(東海道、中仙道、甲州街道、日光街道、奥州街道)と同等の重要街道であった。その間、参勤交代の大名、オランダ商館長の江戸参府をはじめ各階各層の人々、海外貿易の物流、文化、情報の伝達としての役割に担っている。
開通から凡そ400年を経過した現在、所謂日本列島近代化の波を受けて大きく様変わりした現代においては街道に纏わる面影など殆ど姿を消している中で、数少ない風景、面影や文化財などを撮影取材して写真集を発刊した。